「椎山(しいやま)」と称された水野家墓所
写)水野家墓所の墓石

水野家墓所は、土地の人は椎の木が多いことから「椎山(しいやま)」と称した。椎の木は当地方の代表的な樹木。初夏にはもこもこと綿のような花を付け、毎年、熊野速玉大社の例祭がやってくると、戸毎の軒に椎の生木を立てる風習があった。 石段を上ると、正面西の奥に水野家累世之霊塔があり、それを中心に左右に歴代城主とその家族らの墓、15基が並んでいる。実際に遺骸が葬られている城主は、新宮で逝去(せいきょ)した第9代城主水野土佐之守忠央(ただなか・鶴峯院殿土州大守)だけで、他の人の遺骨は、和歌山、鎌倉、東京などに埋葬されている。

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