新宮城二ノ丸跡
かって「二の丸旅館」があったことから、ややこしくなるが、そこは「鐘(かね)ノ丸」と言われるところ。新宮の人々は、そこを二ノ丸と呼んで親しんだ。実際の「二ノ丸」は、ここから左へ数メートル、立派な石垣の見えるところ、現在の正明(しょうめい)保育園である。 三重県尾呂志(おろし)村の人、山田作治郎は1891(明治24)年ここに天理教南海支教会を設立、教会堂を建立する。3年後焼失するがまもなく再建。支教会から南海分教会に昇格、1909(明治42)年一派独立の南海大教会と改称して独自の布教活動とともに今日に至っている。二ノ丸跡の堂々たる会堂、写真の石積みは、新宮城の威容(いよう)を偲(しの)ばせるものがある。

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