「丹鶴城」(春夫の詩)
春夫の詩「丹鶴城」は、「少年のわがよき遊び場」や「多謝すわがお城山/美をわれにむかし教へき/柏亭は「滞船(たいせん)」を描き/われらが師与謝野の大人(うし)は/なつかしきここに歌へり」などの詩句があり、「碑(いしぶみ)に彫(ゑ)らまほしきは/「高く立ち秋の熊野の/海を見て誰(た)ぞ涙すや/城の夕べに」」で結ばれている。 「明星」を主宰して新しい短歌界を牽引(けんいん)した与謝野寛(ひろし・鉄幹という号はこのころ廃止している)は、明治末、1906(明治39)年と09(明治42)年、二度新宮を訪れている。最初に訪れたとき詠んだとされる和歌が、この歌。佐藤春夫も詩碑として刻みたいとしたもの。しかし、この和歌は与謝野寛のどの歌集を繙(ひもと)いてみても現われない。即詠したとされるこの歌は、推敲(すいこう)されて収められたからである。和貝夕潮や佐藤春夫の筆記を参考に、再現された寛の和歌と言える。

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