江戸千家流と呼ばれ、その祖となる
写)本広寺正面

江戸千家流の祖とされる川上不白が79歳の折(寛政9年)に建立した書写妙法蓮華印塔(県文化財)が、市内、日蓮宗の本広寺(ほんこうじ)境内にあり、法華経を一字ずつ書写した一字一石経塚で、6万9384個の礫石が巨大な壺に納められていると言う。 なお、幕末に生きた4代目川上不白は、中央政界をも動かした9代目新宮領主水野忠央の茶頭で側近として仕えたが、忠央が新宮への蟄居(ちっきょ)を命じられたのに伴い、同行、初代不白の生誕の地で逝去、南谷墓地に墓がある。

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