総合病院新宮病院の開院
写)地元紙が伝える開院広告

新宮病院は1908(明治41)年9月、筒井八百珠(つついやおじゅ)の勧めで、一般人の寄付によって、この地に紀南地方唯一の総合病院として出発した。初代院主は松井南洋(まついなんよう)、院長は西川義方(にしかわよしかた)。戦後財団法人に改組され、一時病院業務休止の時期もあったが、困難を克服、現在まで地域医療に貢献している。1999(平成11)年「地域医療とともに九十年」という、記念の冊子が刊行されている。 開院当初は現在よりももっと面積が広く、木造2階建て、表は槇(まき)の生垣(いけがき)で囲まれ、松や青桐(あおぎり)、山桃(やまもも)などの植え込みがあり、玄関は洋風。北側の裏は、看板の写真のように、第一尋常小学校(丹鶴小)に隣接していた。しかし、この建物は、1946(昭和21)年12月の南海大震災による火災で焼失した。

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