大阪大相撲の沖見嶽
幕末の、大相撲が江戸と大阪に分かれていたころ、大阪大相撲の小結まで昇進したのが、沖見嶽浪之助(おきみだけなみのすけ)。新宮藩主水野忠幹(ただもと)のお抱え力士、殿様の馬の口取りを務め、シコ名も新宮城が「沖見城」と呼ばれた所からの命名。身長六尺(約180センチ)、当時としては大柄。明治維新後もちょん髷(まげ)姿で、闊歩(かっぽ)、新宮の名物男。大浜から大量の白石を速玉神社まで子供たちに運ばせ、「チョウサじゃ」の掛け声で音頭取り。氏神の祭りのときなど、しばらくこの掛け声が子ども達の間で、山車(だし)や屋台を引くときの掛け声となった。南谷墓地、イオン駐車場方の入口近くに碑がある。

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