松沢炭鉱のストライキ
おそらく、当地でのストライキの最初、全国的にも注目。明治40年3月、日刊「平民新聞」が、「新宮のストライキ」を報道。石炭を新宮の池田港に運ぶ松沢炭鉱船夫と荷揚人夫による争議が起こる。発信源は大石誠之助とされる。石炭鉱主が運搬人夫の賃銭を下げたことから、200人ほどが新宮川原に集結。「石炭乗り」と称された労働者は、代表者が交渉の結果、引下げどころか、4円20銭を30銭に引き上げを獲得、完全勝利したと報道。 時代が大きく飛んで、松沢炭鉱閉山反対の闘争は、1960年前後の紀南地域の労働運動の象徴的な運動。1963年5月28日、突如6月1日からの閉山通知、「松沢を守る会」が結成され、広く全県的な運動を展開したが、石炭から石油へ、エネルギー政策の変化の波は、留めようもなかった。300日を越える長い闘争を支えた婦人の力も大きかった。 写真(昭和38年)は炊き出しなど婦人の力も大きかった炭鉱ストライキ。

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