最初の活版印刷所、集文社(しゅうぶんしゃ)
新しい明治の世となり、郡役所など役所体制が整えられるにつれ、公文書が活版で印刷されるようになる。明治14年仲之町に誕生した集文社は、生熊橘造(いくまきつぞう)の創立になる、新宮最初の活版印刷所である。旧武家屋敷をそのまま転用した造り。五号活字なども珍しく、印刷の為のローラーも最初は回転式ではなく、一枚ごとに活版上に印肉を塗って製作。ローラーも当初は人力、印刷工もかなりな重労働。 ちなみに大石誠之助の妻となるゑい(栄子)は、生熊橘造の三女。ゑいは明治16年の生まれ、数え19歳で結婚(誠之助は35歳)。橘造はゑい8歳の時に死亡。

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