竪穴住居、復元への努力―新宮ライオンズクラブ15周年記念事業―
写)上/当時のメンバー(三島、須川、野尻、速水)、下/ライオンズクラブメンバーによる復元作業

昭和28年7月、滝川政次郎を団長とする地方史研究所の熊野地方の総合調査が行われた。その結果を踏まえ、翌年2月考古班が再調査、阿須賀神社境内で竪穴住居跡が発掘された。社殿付近からは、弥生土器、須恵器、土師器などもたくさん出土、弥生時代から古墳時代にかけての住居跡と推定された。しかし、復元への取り組みがスムーズに展開したわけではない。昭和51年竪穴住居保存会が生まれ、復元のための取り組みが始まった。会長の奥野利雄は、知己で阿須賀神社総代であった加藤恒久に相談、加藤が新宮ライオンズクラブの会員であったことから、その資金面での援助を同クラブの協力に仰いだ。ちょうど同クラブは15周年を迎え記念行事の一環として位置付けられた。当時の15代会長須川市朗、記念大会委員長速水富吉、15周年委員の山下謙次郎ら、関係者はじめメンバーの努力で、内面の土間を直径5.2M、高さ4Mの円錐形の住居として復元された。

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