九重(くじゅう)の玉置真吉(たまきしんきち)―社交ダンスの草分け
写)「続社交ダンス必携」
熊野川が分岐して、北山川を遡ること数キロの地が九重。大石誠之助らと交流があり、そこで「訓導(くんどう)」(今の教諭)をしていたのが玉置真吉(1885-1970)。「大逆事件(たいぎゃくじけん)」の影響で依願免官(いがんめんかん)に追い込まれる。その後、賀川豊彦(かがわとよひこ)の貧民窟を手伝ったり、文化学院につとめたりしながら、昭和初年にはわが国の社交ダンスの草分けとなってゆく。1946(昭和21)年刊の「社交ダンス必携」はベストセラーに。戦後は、娘婿らと各地の炭鉱を廻り、フォークダンスの普及に努めた。自伝に「猪突人生」があり、序文は「『あの時若(も)し絞首台(こうしゅだい)に上っていたら・・・・』これは私の身に重大な事が起り後退か前進かを決定しなければならぬとき、自らに云い聞かせる言葉です。従って私の処世法は前進あるのみです。」で始まっている。
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