松沢炭鉱の歴史
写)今も坑道口が残る辺り

旧九重(くじゅうむら・現新宮市熊野川町)宮井を中心とする通称熊野炭田は、明治初期新宮藩が銅鉱脈を発見したのをきっかけに、土佐の九十九(つくも)商会や、三菱の岩崎弥太郎などが関与、明治20年前後には大きく4つのグループの鉱山が出来ていた。その一つが「松沢炭鉱」。明治25年10月愛知県の人、松沢与七に譲渡されて経営に係わったことから「松沢炭鉱」と呼ばれるようになり、松沢はこの地の地名にもなった。松沢炭鉱の関係文書によると、明治33年フランス・パリでの万国大博覧会へ、石炭塊2個が発送されている。当地の炭鉱では、一番最後まで営業が続けられた。

戻る