神倉山の天狗
神倉山に天狗が住むという伝説は、明治期になっても新宮の多くの人々の心を捉(とら)えていた。そういう意味でも、神倉山は近づきがたい場所だった。 葬式が出ると、南谷の墓地に埋葬する際、「土塀(どべい)」と呼ばれた場所から、水野家の墓地下を通って南谷に至るまで、駆け足で遺体を運んだのは、神倉山の天狗が遺体を奪いに来ると言われたからであった。神倉山は熊野修験の修業の場でもあったから、容易に人を近づけなかったのであろう。お燈祭り前の「天狗荒れ」という現象は、人々の肝をつぶしたというが、籠り堂に大音響をたてる「装置」のようなものが設けられていたのだろうとは、近代の「合理的」な解釈。

戻る