「丹鶴園の塔」
清水徳太郎の回想(「熊野誌」24号)―「明治末~大正初頃、城跡を本格的に遊園地化しようとする試みがあって遊歩道を作り、桜を植えた。本丸広場の中央に望遠廻廊(かいろう)を戴(いただい)いた塔を建てたが、塔は木製で円筒型、中は螺旋(らせん)階段ではなかったか。(略)大阪の新世界に塔が建って歓楽境として脚光を浴びだした後で、それにヒントを得て建てたものだろうが、賑(にぎ)わったのは桜の一時期だけ。後は入り口を堅く釘(くぎ)して、二、三年もむなしく立っていたろうか」。その後この塔は、坊主山(ぼうずやま・現王子小学校付近にあったゆるやかな稜線の丘。いつからか坊主山と呼ばれた)に移築されたようだが、それもまもなく取り壊された。

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