坪井蜂音庵(つぼいぶぉあん)の墓
峰尾節堂墓の近く、自然石の墓。表は「坪井蜂音庵居士墓」、うらに「名にかえてのこすや石に苔のはな 如意山人」とある。坪井蜂音庵(1833-1906)は、元藩医。水野忠央(ただなか)が新宮への蟄居(ちっきょ)を命じられたとき、お供衆として江戸から下った3人の「奥医師」のひとり。忠央が「ブーンブーン」という蜂音に託して命名したと言う。明治期以降も、井才田(いさだ・伊佐田)の小高い所で蘭学医というより、むしろ漢方医として開業。 明治期の漢詩人中野逍遙(しょうよう)が蜂音庵宅に滞在したことがあり、「春夢子」に寄せた作品などがある。「春夢子」は、蜂音庵の娘澄子(すむこ)、若いころから文才を発揮している。

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