童男女三千人(あるいは千人)を乗せて黄河(こうが)から渤海(ぼっかい)に船出したとされる徐福
19世紀初頭に描かれた「紀伊名所図会」には「徐福来朝の図」があり、中国風の大型船の黒い船から多くの宝物を荷下ろしする場面、そばに徐福が童男童女らを従えて整列している。 画の右上の文章には「本朝通紀、人皇第七孝霊天皇七十二年秦ノ徐福来朝ス。時ニ始皇仙術ヲ好ミ、東ノカタ海上ニ遊ブ。是ニ於テ方士徐福ヲシテ童男女千人ヲ将ヰテ海ニ入リ蓬莱神仙不死之薬ヲ求メシム。徐福来朝スレドモ遂ニ其ノ薬ヲ得ズ、誅ヲ畏レテ敢テ還ラズ。熊野ニ在リテ卒ス。子孫皆秦氏ト曰フ。」と記されている。この画を刻んだ大理石でできた由緒板が、1994(平成6)年中国山東省龍口市から寄贈されている。

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