矢倉(やぐら)神社
写)明神山西麓にあった「矢倉神社」

昔の矢倉町、明神山(みょうじんやま)の西麓にあった、「熊野樟日命」を祀っていた「高倉神社」は別名「矢倉明神社」。新宮の氏神中では第一等とされていたが、明治40年、全県下に展開された神社合祀政策によって、熊野速玉神社に合祀された。当時は、合祀を惜しむ声が強かった。郷土史の大家小野芳彦も、「熊野樟日命を奉祀する唯一の社にして三社(速玉社及神倉社、阿須賀社)御造営の節には必ず同時朝家公儀より造営せられたるわが馬町及矢倉町の氏神なる矢倉神社の若きものをも、あげて祭祀の日浅き金刀比羅社に一列に合祀せしごときとりわけ遺憾に堪へざるものあり」と、憤懣(ふんまん)を日記に書きつけている。矢倉明神社地は、明治43年3月公売に供されている。

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