徐福伝承と現在
「方士・徐福(ほうし・じょふく)」のことは、紀元前91年頃完成された司馬遷(しばせん)の「史記」に記されている。「徐福」は「徐市(じょふつ)」とも記され、中国語では「シーフー」で発音が同じ、同一人物とされる。「方士」とは神仙の術を行うもの。「史記」が書かれたのは、徐福の死後百年はまだ経過していない。不老不死の強い願望を持っていた秦の始皇帝に、海中に三神山がある、名を蓬莱(ほうらい)、方丈(ほうじょう)、瀛洲(えいしゅう)といい、そこには仙人が住んでいる、長寿の秘訣を探してくる、と直談判(じかだんぱん)して宝を積んだ船と童男女三千人(あるいは千人)を乗せて黄河(こうが)から渤海(ぼっかい)に船出したとされる徐福。その伝承を伝える地は、日中韓の国の30数か所に及んでいる。ただ、墓と称するものがあるのは、熊野の新宮だけ。


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