戦後の映画館全盛の時代
写)戦後の賑やかな日の出通り(昭和45年)

新宮の劇場映画の事始めか、昭和3年11月日の出座で「物いう映画」、トーキー映画が上映されている。昭和14年8月、谷王子に「ニュース館」(映画館)が出来、昭和24年2月には「新宮東宝」が開館、さらに大手の映画会社5社もそれぞれの直営館形式で上映。松竹(「日の出座」跡)や大映、東映なども日の出通り界隈に存在、日活のアクション映画は「松竹」で、正月興行は、立ち見は勿論(もちろん)、背伸びしてみる有様。「ニュース館」は「アオイ劇場」という洋画専門の映画館になった。昭和31年2月の統計では、新宮市と東牟婁郡内15館の1月中の入場者が9万5533人を記録している。 まだ、テレビの無い時代、日曜日の朝は、低料金でニュース映画だけが上映されていて、世界の諸情勢を知り得た。


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