高木顕明(たかぎけんみょう)の布教活動
高木顕明の詳細年譜の1891(明治24)年の項に、「8月25日高木礼譲が新宮へ。これより前に既に顕明は新宮松沢炭鉱に布教に赴く。」とある。この年11月高木礼譲(れいじょう・顕明は礼譲と同級生、兄義答の姓を継ぎ高木姓を名のる)は浄泉寺住職となり、1897(明治30)年顕明は浄泉寺に入寺、1899(明治32)年礼譲が住職を辞任し、翌月顕明が住職に就任。顕明はその後も松沢炭鉱への布教活動を継続したものと思われる。月に3、4回川舟で訪問していたという。新宮からは20数キロ上流。


戻る