新宮キリスト教会の活動
写)仲之町にあった教会堂。中央の山高帽姿は宣教師ADヘール

新宮のモダン文化を考えるとき、キリスト教の果たした役割は大きなものがある。キリスト教の伝道と共に、幼稚園教育や英語学習などに先進的な貢献をした。 1883(明治16)年7月、浪花教会会員で文人画家の米津方舟(よねずほうしゅう)と、聖書販売でやってきた山本周作(やまもとしゅうさく)とが、馬町(うままち)の寄席(よせ)でキリスト教演説会を開いた。これが新宮でのキリスト教伝道集会の初め。翌年の6月には、大石余平らの努力で、キリスト教会堂を建立。この地から、数メートル東側の小林精肉店跡のあたり。「大逆事件」によって信者が激減するものの、試練を乗り越えて、復活。仲之町の教会が出来て35年後、1920(大正9)年会堂を日和山(ひよりやま)・伊佐田(いさだ)の地に移転。1924(大正13)年自給独立教会となる。戦後、1977(昭和52)年土地開発によって立ち退き、現在地に新会堂を建立した。


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