朋輩(ほうばい)の俳人松根久雄(まつねひさお)
写)中央が松根久雄。左、手前 後藤綾子、向こう宇多喜代子、右、中上健次

中上健次が「紀州」のルポを開始するとき、取材等で頼ったひとりが、熊野の俳人松根久雄(1927-98)である。その後、松根は地元の受け皿として、「部落青年文化会」や「熊野大学」の立ち上げ等に深く係わる。熊野大学準備講座が、俳句会から出発したのは、俳人松根久雄のつながりからである。その熊野大学出版局刊の「牟婁叢書(むろそうしょ)」第二弾として刊行されたのが、松根の句集「天地(てんち)の辻」。松根にとっては「クローバの天」に次ぐ2冊目の句集。題名は、中上と松根との合議による。「天地の辻」は七つの章から成っているが、最初の六つは生前の中上が選句していたと言う。それに中上追悼句を含む「夏芙蓉(なつふよう)二九句」を含めて、俳人宇多喜代子(うだきよこ)の編集になる。「健次死す芙蓉(ふよう)の路地にもどり来て」「夢にでも出てこい健次百日紅(さるすべり)」など。


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