お濠(ほり)の埋(う)め立てと丹鶴町(たんかくちょう)の出現
写)埋め立て前のお濠。新宮町役場、熊野病院などがみえる

お濠が埋め立てられて丹鶴町が出現するのは、1922(大正11)年。お濠は「外濠」とされたが、内濠があったのかどうかなどから、「伊佐田池(いさだのいけ)」と呼ぶ方が正しいとは、最近の説。ここの水は熊野地の灌漑用水(かんがいようすい)ともなっていたから、反対する意見もあったが、新宮鉄道が開通し、新宮駅と町の中心部を結ぶ幹線道路が必要ということで着手。1920(大正9)年総予算2万1507円で着工。造成された宅地2945坪(9713.5平方メートル)は希望者に貸し付けられた。


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