大石誠之助(おおいしせいのすけ)の墓
1911(明治44)年1月24日「大逆事件」で刑死させられた町の医師であった大石誠之助の墓。2月2日未明、簡単な葬儀をしてここに葬られた。全国的な遺家族慰安の旅を続けた堺利彦(さかいとしひこ)が新宮を訪れるのは、5月3日。その際、墓石の文字を揮毫(きごう)、原文はいま新宮市立図書館が保管。12名の刑死者のうち、最初に墓石が切られたと言われている。土佐中村(現四万十市)の幸徳秋水の墓は、誠之助の墓を参考に立てられた。


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