春夫作品から
徐福墓畔の場所は、まさに感受性豊かな少年時代の春夫にとっては、思索の場であった。すでに、新宮中学校の「校友会誌」(明治41年3月)には、「徐福墓畔に佇(たたず)む 第三学年 佐藤春夫」が載っている。昭和4年刊行の『支那童話集』には「徐福」が載っている。昭和28年「徐福の船」という詩を発表(昭和35年刊の『詩の本』所収)。昭和58年山崎裕視によって曲がつけられ、翌年「新宮はまゆう合唱団」によって発表された。


戻る