最後の切腹の場
新しい明治の世になっても、直ぐに刑罰の制度が変更されたわけではない。明治4年2月藩士湯川小太郎(こたろう)が切腹を命じられ南谷の常念仏堂(じょおうねんぶつどう・今、上の寺と言われる所)で執行された。太刀取りは浜田孝之介、大監察は中川三蔭が務めた。小太郎は新宮藩士族で軍務局勤め、この時21歳。前年、藩医の井上桂樹(48歳)を酒宴の席で斬殺(ざんさつ)した咎(とが)による。詳細は『新宮市史 資料編上巻』881ページに詳しい。お家断絶は成されていない。新宮藩の最後の切腹である。


戻る