新聞雑誌縦覧所(しんぶんざっしじゅうらんしょ)のこと
大石誠之助の肝(きも)いりで、明治39年夏頃から40年3月頃まで、仲之町の「熊野実業新聞」記者徳美松太郎(とくみまつたろう・号は夜月・やげつ)宅に「新聞雑誌縦覧所」が設けられた。この通り西側に十数メートル行った美濃屋陶器店の辺り。社会主義的なものだけでなく、中央の新聞や雑誌なども、比較的新しい情報として若者たちは感受した。中学生であった佐藤春夫もそのひとり。大石は船町の自宅前に明治37年10月「太平洋食堂」を開店した時も、食堂内に「新聞雑誌縦覧所」を設けていた。


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