踏切番のいた手動(しゅどう)の踏切り
写)踏切を通過する人の群れ(昭和45年)。

新宮駅第一踏切りには、列車が通るたびに上げ下げする踏切番が常時駐在し、そのための小屋も設けられていた。まだ自動車が一般化する前、通勤通学の人々が列車を利用し、群れを成してこの踏切を渡った。踏切の自動化は正確な記録は残されていないが、新宮―紀伊長嶋間が自動信号化されたのが昭和58年9月28日で、その時以来、手動から自動に切り替えられ、駐在員も小屋も消えた。


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