平忠度(たいらのただのり)出生の伝説
平忠度は薩摩守(さつまのかみ)として、武人、歌人として貴族社会にその名を馳(は) せていた。平忠盛(たいらのただもり)の子、清盛(きよもり)の末弟。母親は諸説あるが、そのひとつが熊野別当湛快(たんかい)の娘という説。鳥羽院が熊野詣でに来た折見いだされ、忠盛と恋におち忠度を生んだと言う説。熊野川沿いの音川(おとかわ)の地で、有力者橋詰氏によって18歳まで育てられたという伝承。音川はここから川を少し遡(さかのぼ)ったところ。「平家物語」では、忠度のことを「熊野育ちで、早業(はやわざ)で大力(おおぢから)」と表現している。


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