大石ら開設の「太平洋食堂」
写)「家庭雑誌」(明治39年3月号刊)

1904(明治37)年10月はじめ、大石誠之助は船町の宅前に、甥の西村伊作と「太平洋食堂」を始める。看板は伊作が書いた。新宮最初の洋食屋、いわゆるレストランで、時は日露戦争時、命名は新宮の町が太平洋に面していたためと、戦争に反対して、平和主義者(パシフィスト)の意味を込めた。新聞縦覧処が設けられたり、洋食の講習会が開かれたり、楽器や室内遊具の器具が置かれていたとも言う。しかし、長続きはしなかったようだ。 大石誠之助は、それまでにも、「家庭雑誌」に西洋料理のレシピなどを連載しており、アメリカで苦学時代、スクールボーイとして家庭でのコック修行をした体験などから、西洋料理の普及に力を尽くした。 なお、西村伊作は1908(明治41)年3月、伊佐田(いさだ)の地に洋食店「中央堂」を開業しているが、誠之助の関与や、いつまで続いたかなどは分かっていない。


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