短命「丹鶴園の塔」
写)城址にお目見えした丹鶴園の塔

丹鶴城址は「私有の」城跡となっていたため、遊園地化の試みや、戦後、小さな動物園があったこともある。ビアガーデンも夏の風物詩として営まれていた時期がある。その一つが、明治末から大正期にかけて、短命であった「丹鶴園の塔」といわれるもの。大阪新世界に立てられた通天閣なども意識していたのかもしれない。さすが、「新もの食い」の真髄を発揮か。


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