対岸の楊枝薬師(ようじやくし)
熊野川の対岸は三重県、紀和町楊枝(現熊野市)にある楊枝薬師堂の由来(ゆらい)は、京都東山(ひがしやま)の三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)に係わる。 二条天皇の御代、後白河上皇(ごしらかわじょうこう)は頭痛に悩まされていた。平癒(へいゆ)を祈願していたところ、夢のお告げで金色の御仏が現れ、熊野川のほとりの柳の大樹(おりゅう柳)を伐(き)って都に大伽藍(だいがらん)を建て、我が像を祀(まつ)れ、というもの。こうして出来たのが、「蓮華王院(れんげおういん)」、俗称「三十三間堂」である。 出家して法王となった後白河院は、自ら大導師となって、熊野にも大きな伽藍を建て、柳の木で彫(ほ)った薬師を安置、「頭痛山平癒寺(ずつうざんへいゆじ)」と称した。いまに一宇(いちう)残るのが、この薬師堂とされる。頭の病気に霊験(れいげん)があるとされるところから、お堂の扉には、穴の開いた石やヘアブラシなどが吊(つ)り下げられている。


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