春夫が住んだ徐福墓畔の家
佐藤春夫は、大正13年末から14年秋ころまで、妻となった小田中タミ(多美)を伴なって帰省、この「徐福墓畔亭」に滞在した。「新宮町字徐福7172」である。「移転通知に」と前書きした「若草の妻とこもるや徐福町」の句も残している。また、大正14年3月17日には、新宮の文学仲間であり、のちに大衆作家として名を成す下村悦夫に請われて、春夫の『殉情詩集』所収の「同心草」の内の13編を、みずから揮毫して、アルバム帳を残している。その跋文に言うー「友人下村悦夫君は好事の人なりたり。一日われをしてわがうたを自書せしむ。悪詩と拙筆と情癡と蓋し三絶なり。乃ち一笑して之を諾す」「於徐福墓畔 佐藤春夫」とある。


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