角池傍(かくいけそば)の医師伊達李俊(だてりしゅん)
写)柵の中が現在の角池

今も残っている庵主池(あんじゅがいけ・通称・角池・かくいけ)のそばに、東京帝大出の医師伊達李俊の赤レンガ塀の医院が開院。李俊は、下里(しもさと)の出身、文学的な造詣(ぞうけい)も深く、「明星(みょうじょう)」の同人、徳富蘆花(とくとみ・ろか)等との交友もあった。北海道立の増毛(ましげ)病院長から新宮へきての再開業。しかしうまくいかずに、1910(明治43年)2月ピストル自殺を図り、それが因で死去。享年33歳。大石誠之助らとの確執(かくしつ)も噂(うわさ)されている。子息は、エスペランチストとして著名な栗栖継(くりす・けい)。 ちなみに、角池の先に丸池があり、そこに三本の杉が立っていた。別に形が丸かったわけではないが、角池に対してそう呼ばれたらしく、遊廓への入口、後に蓮池ともいわれ、三本杉も丸池もどちらも昭和の初期に消滅した。


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