新宮鉄道の変遷
1909(明治42)年「軽便(けいべん)鉄道法」が公布され、小規模路線の「軽便線」が全国的に普及。新宮の木材業者らが発起人となり、1910年4月新宮鉄道KKが資本金70万円で設立され、翌年(大正元)11月勝浦―三輪崎間が開通して運転を開始、翌大正2年3月には新宮まで開通。最初は木材運搬が目的だったが、次第に乗客も増え、大正6年には勝浦駅で乗降客が年間15万人余に達した。 新宮鉄道は昭和9年国に買収され、紀勢中線として利用され、和歌山から紀伊木本間が開通するのは、昭和15年のこと。紀伊半島を周遊する紀勢本線として、和歌山・亀山間が開通するのは昭和34年7月のことである。2012年は新宮鉄道開通100年に当たり、各地で記念の催しも行われ、新宮駅構内には記念碑が設置された。


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