イギリス商船の座礁(ざしょう)と救助
トルコ軍艦エルトゥールル号が串本大島沖で遭難、地元民の懸命の救助は有名であるが、その同じ年(1890・明治23)の4月、イギリス商船ユリセス号が暴風雨のため孔島(くしま)付近の暗礁(あんしょう)で難破、官民挙げての救出で全員無事救出、イギリス政府から謝意が表されている。それより先の1886(明治19)年10月イギリス船ノルマントン号が勝浦沖で沈没、イギリス人は全員ボートで脱出したが、日本人乗客23人全員が放置され溺死(できし)した事故で、不平等条約のもと、船長が軽い罪であったため、世論が沸騰(ふっとう)、「ノルマントン号沈没の歌」などが流行した。その後だっただけに、イギリス政府の対応も心こめたものであったろう。また、1883(明治16)年には4月、イギリス汽船カーナボンセーア号が御手洗(みたらい)海岸で座礁難破、三輪崎、広角(ひろつの)の住民らが乗組員を救助する。イギリスからはそのお礼にと、時の三輪崎町長に柱時計と望遠鏡が贈られている。熊野灘は海の難所であった。


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